自分史

不登校に至るまで

0006.和歌山の親戚の伯父さん

4歳の時に和歌山で過ごした時の記憶はほとんどない。道中の記憶は印象的だったせいか覚えているが、到着した時の事、約2ヶ月にわたり過ごしたこと、ほとんど覚えていない。 これは母から聞いた内容なのだが、伯父は離婚には猛反対した。伯母は明ら...
不登校に至るまで

0005.新大阪にて

母はついに決断をして私を連れて家を出ることにした。和歌山に母の兄にあたる親戚がいて、伯母の勧めるがままに向かうことにしたのだ。 だが、母は迷っていた。叔父の家に行けば父との離婚を反対され引き戻されるのではないか。それに何より迷惑をか...
不登校に至るまで

0004.広いアパートで起こった悲劇

私が3歳の時に引っ越しをした。前の家からはそれほど離れてはいなかったが、山の斜面に寄りかかるように建てられた3階建てのアパートだった。1階までの階段がすごく長くいつも母が息切れしながら上っていた記憶がある。 間取りは2DKだったが前...
不登校に至るまで

0003.幼少期の友人関係

私の幼少期の友人関係は、幼稚園に入るまでは、近所の友達との友人関係に絞られてくる。 かなり記憶は遠のいているが隣に1つ年下の男の子が住んでいた、そのことはかなり親しくしていたと思う。他に向かいのアパートに住む友達もいた。ただその友達...
不登校に至るまで

0002.父の酒乱・DV

私の父は私が生まれて間もなく建築関係の事業を始めた。父は仕事がかなりよくでき、マルチに才能を発揮していた。現場作業から現場監督、設計に見積もり、デザイン、ありとあらゆることが一人でできる人だった。 父は父の友人から 「サラリー...
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0001.生誕

昭和47年(1972年)、愛知県名古屋市で生まれる。男。 両親ともに30歳を超えての出産、やや高齢出産だが初産で実は授かり婚。母は怒りっぽい父と別れようとしていたのだがそのタイミングで私を妊娠してしまったので、結婚、出産に至る。 ...
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