0006.和歌山の親戚の伯父さん

不登校に至るまで

4歳の時に和歌山で過ごした時の記憶はほとんどない。道中の記憶は印象的だったせいか覚えているが、到着した時の事、約2ヶ月にわたり過ごしたこと、ほとんど覚えていない。

これは母から聞いた内容なのだが、伯父は離婚には猛反対した。伯母は明らかに迷惑そうな怪訝な顔をしていたそうだ。あと祖母もいたのだが、かなりつらい顔をしていたらしい。自分の娘が離婚すると言ってやってきたのだから当然と言えば当然かもしれない。

伯父は自営業で大工をやっていた。子どもは娘が4人いた。私の従姉に当たるのだが、三女と四女の従姉とはよく遊んでもらった気がする。明確に覚えているのは三女の従姉に自転車の後ろに乗せてもらって町中をサイクリングしてもらったこと。とても強い印象が残っている。

あと、親戚の伯父さんの隣の家に私と同世代の女の子が住んでいて、よく遊んだ記憶がある。テレビゲームも置いてあった。当時はまだファミコンもなく単色のブロック崩しのゲームだった気がする。考えてみると家庭用テレビゲームに触れたのはこれが初めてかもしれない。

伯父さんは父と母のよりを戻すために奔走したらしい。母には自分の家から出ていかないように強く言って、父には電話連絡を取り、お酒を完全に止めること、止めることができたら和歌山まで母と私を迎えに来ることを伝えたらしい。

2ヶ月の月日がたった、伯父さんが母に伝えた。明日父が迎えに来ると。母はショックのあまり眠れなかったそうだ。またあの地獄の日々に戻ってしまうのかと。

翌日、私が洗面室の扉を開けたら父が立っていた。突然だったのでビックリもしたが正直嬉しかった。幼い私にとっては父はやはり父なのだろう。

こうして母と私は父と共に名古屋に帰ることになった。名古屋に帰ったら2ヶ月遅れで幼稚園に入園することになる。学校に入る前の初めての集団生活。色々な事が待ち受けていた。

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